湯布院(由布院)の歴史

湯布院は昔から今のような観光地だったわけではありません。

「湯布院」という地名でさえ昭和30年に誕生した地名で、それまでは「由布院」「由布院温泉」であり、金鱗湖周辺を主に、九州の温泉観光地として知られていました。

今の湯布院の雰囲気や趣きが根付いてきたのは、時代が平成になってからです。
鉄道路線や高速道路の整備に伴い、由布院観光も右肩上がりになり、人が人を呼び、ようやく今のような湯布院になったのです。

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ゆふいん 地名の由来

その昔、由布院盆地は周囲を山に囲まれた大きな湖であった。
ある日、霊峰由布岳の化神・宇奈岐日女が力自慢の権現をしたがえて山の上からジッとこの広大な湖を眺めていた。やがて日女が権現に向って、「この湖を干拓 すれば、底に肥沃なる土地現れて、多くの民が豊かに暮らせよう。お前の力を以ってこの湖の堤を蹴り裂いてみよ」と命じた。権現は、「あらん限りの力を以っ てお言葉のとおりに」と答え、湖の周囲を一巡りした後、湖壁の一番薄いところを見付け満身の力をふりしぼってそこを蹴り裂いた。
湖水は怒涛となって奔流し、やがて湖底から現在の盆地が現れた。
里人は宇奈岐日女を由布院開拓の祖として大きな社を建てそこに祀った。これが現在の宇奈岐日女神社である。堤を蹴り裂いた権現は川西地区の蹴裂権現社に祀 られている。(御神体は大きな石) またこの時、湖の底に一匹の竜が棲んでいた。急に湖の水が減ったので神通力を失い、身をもだえながら由布山麓の岳本の 地まで来てそこの天祖神に訴えた。「湖のすべては望みません。唯、この地に少しばかりの安住の地を与えて下さい。さすれば永くこの地を護りましょう。」
竜の願いは聞き入れられ、岳本の池が残された。その後、竜は再び神通力を得、雲を巻いて昇天した。
岳本の池は大きな池だったが、慶長の大地震で埋まり小さくなった。
明治時代、儒者・毛利空桑がこの地に遊び、魚の鱗が夕日に輝くのを見て、「金鱗湖」と名付けたのが現在の名称の起こりである。 (由布院温泉旅館組合HPより引用)